出雲大社創建は8世紀頃???

古代史に少しでも興味のある方なら

この「出雲大社創建は8世紀頃???」というタイトルを見ただけで

「読むに値しない『トンデモ説』だ」と思われるかも知れません。

でも、このページを閉じる前に

出雲大社の創建がいつのことなのか明言してみてください。




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古事記に書かれているように、

大国主命を祀る宮を建てたのは国譲り神話の部分。

「天孫降臨」の前であり、その天孫降臨は

彦火火出見が大和へと向かう(神武の東征)の

百七十九万二千四百七十余年前のこと(日本書紀)。

その年代の信ぴょう性はともかく、「出雲大社」の起源は「神代」のことです。

「神話」ではなく「歴史」として考えるならば、

あり得ない話だと言えそうです。




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本家「龍水御朱印帳」

出雲大神宮 その1」の記事でご紹介した『丹波国風土記』逸文

奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。
すなわち今の出雲大社これなり。



つまり出雲大社の御祭神・大国主命は、

丹波・亀岡の出雲大神宮から勧請されたと書かれているのです。

にわかには信じがたい内容ですが、出雲大社の創建時期も謎です。

出雲大社の創建時期に疑問を持ったのは数年前のことです。

「平成の大遷宮」にともなう「出雲大社本殿・特別参観」に参加したとき

慌ただしい駆け足の旅でしたが、出雲地方の神社を何社か回りました。




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出雲ではいくつかの気づきや発見があったのですが、

驚いたのは「熊野大社」の存在。

和歌山県の「熊野本宮大社」との関連も気になりましたが、

何よりもここも「出雲国一ノ宮」と称していたこと。

そして調べてみると、出雲大社の祭祀を執り行う出雲国造家は

元々はこの意宇、大庭地域が本拠地だったことがわかりました。

意宇川流域とその周辺にはこの熊野大社をはじめ

出雲国庁跡、神魂神社、八重垣神社などがあります。

では、いつ頃から出雲国造家は出雲大社(杵築)に移ったのでしょうか。


出雲国造家は南北朝時代に「千家家」と「北島家」に分裂したそうです。

現在の出雲大社の祭祀は千家家が執り行っていますが、

幕末まではその二家が交代で行っていたということです。

その北島家に残る「北島国造家沿革要録」に次のような記述があります。



続日本紀元正天皇霊亀2年(716)2月丁巳、出雲国造外正七位上出雲臣果安、斎竟わり神賀詞を奏し、神祇大副中臣朝臣人足、その詞を以て奏聞す。この日百官の斎焉、果安より祝部に至り一百一十余人に位を進し禄を賜う。各差(しな)あり。伝に云わく、始祖天穂日命斎を大庭に開き、此に至り始めて杵築の地に移すと云う。


杵築の地に新しく神の宮を建てたのかどうかは不明ですが、

少なくとも出雲国造家の本拠地は8世紀のはじめまでは意宇であり

その祭祀の中心も熊野大社だったと言えそうです。

そのことを裏付ける記述が日本書紀にも見られます。


斉明天皇5年(659年)の条

是歲、命出雲國造(闕名)修嚴神之宮。狐嚙斷於友郡役丁所執葛末而去、
又狗嚙置死人手臂於言屋社。(言屋、此云伊浮瑘。天子崩兆)

(現代語訳)この年、出雲国造に命じて神の宮を修造させられた。
狐が葛(宮造りの用材)をかみ切った。
また、犬が死人の腕を揖屋神社に置いて行った。
天子崩御の前兆である。



揖屋神社(言屋社・いうやのやしろ)とは

熊野大社や神魂神社などと共に意宇六社の一社。

意宇は「おう」と読みますが、一部地名では「いう」とも呼ばれるようです。

揖屋神社が出てくることから、修造を命じられた「神の宮」とは

意宇の熊野大社であって、出雲大社(杵築)ではないと思われます。


8世紀以前の出雲国造家の祭祀の中心は熊野大社でしたが、

古くから杵築にも神の宮があったがのかも知れません。

しかし出雲大社(杵築大社)は、古事記・日本書紀の編纂後

まるで記紀神話に合わせるように創建された神社である可能性もあります。


私は古事記や日本書紀は、

真の歴史を隠蔽するために編纂されたのではないかと思っています。








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