
パワースポットという言葉はあまり好きではありません。
だけど他に適当な言葉がないので、
記事にはしばしば「パワースポット」と書いてしまいます。
この単語を使うことに抵抗があるので、「パワースポット」の話題を書くたびに
このような言い訳じみた文章を冒頭に書き添えています。
めんどくさい男で申し訳ありません・・・。
だけど他に適当な言葉がないので、
記事にはしばしば「パワースポット」と書いてしまいます。
この単語を使うことに抵抗があるので、「パワースポット」の話題を書くたびに
このような言い訳じみた文章を冒頭に書き添えています。
めんどくさい男で申し訳ありません・・・。
この場所は大阪府八尾市東太子。
太子堂交差点の東、国道25号線沿いにあるこの小さな一角は
ある意味、日本一のパワースポットかも知れません。
バスが通ると、すっぽりと隠れて見えなくなるほどの小さな鳥居。
最も頼りにしているiPhoneの地図にも掲載されていないここは、物部守屋の墓です。

太子堂交差点の東、国道25号線沿いにあるこの小さな一角は
ある意味、日本一のパワースポットかも知れません。
バスが通ると、すっぽりと隠れて見えなくなるほどの小さな鳥居。
最も頼りにしているiPhoneの地図にも掲載されていないここは、物部守屋の墓です。

6世紀後半、崇仏派と排仏派が激しく争っていました。
仏教を広めようとする蘇我馬子。
仏教は「蕃神」として容認せず、「国つ神」信仰を護ろうとした物部守屋。
587年(用明天皇2年)、
厩戸皇子(聖徳太子)ら多くの皇子を擁した崇仏派の蘇我馬子軍が勝利。
志紀郡の自宅に退去した物部守屋は滅びます。
この戦いもこの戦いに至るまでの数々の出来事も
宗教に関わる闘争のように思われています。
しかし、私はそうではなかったのではないかと考えています。
守屋が敗れたあとも、日本古来の神々は信仰され続けています。
この争いは、先に炊屋姫尊(かしきやひめ=後の推古天皇)を奉じ
馬子によって殺された穴穂部皇子らの皇位継承問題や
馬子と守屋の権力闘争だと思います。

仏教を広めようとする蘇我馬子。
仏教は「蕃神」として容認せず、「国つ神」信仰を護ろうとした物部守屋。
587年(用明天皇2年)、
厩戸皇子(聖徳太子)ら多くの皇子を擁した崇仏派の蘇我馬子軍が勝利。
志紀郡の自宅に退去した物部守屋は滅びます。
この戦いもこの戦いに至るまでの数々の出来事も
宗教に関わる闘争のように思われています。
しかし、私はそうではなかったのではないかと考えています。
守屋が敗れたあとも、日本古来の神々は信仰され続けています。
この争いは、先に炊屋姫尊(かしきやひめ=後の推古天皇)を奉じ
馬子によって殺された穴穂部皇子らの皇位継承問題や
馬子と守屋の権力闘争だと思います。

日本書紀の記述では、仏教を容認しない物部守屋よりも
仏教導入に尽力する蘇我馬子の方が「正義」という印象を受けます。
しかし、日本古来の神々を護ろうとした守屋の功績は
現代の多くの神道関係者から評価を受けています。
地図にも載っていないほど小さな敷地。
しかし墓地を囲む玉垣には、蒼々たる文字が並んでいます。
正面左右の「神社本庁」「大阪府神社庁」をはじめ全国各県の神社庁や、
太宰府天満宮、多賀大社、伏見稲荷大社、住吉大社、諏訪大社、熊野那智大社、
北海道神宮、春日大社、石清水八幡宮、近江神宮、平安神宮と書かれています。

本家「龍水御朱印帳」
仏教導入に尽力する蘇我馬子の方が「正義」という印象を受けます。
しかし、日本古来の神々を護ろうとした守屋の功績は
現代の多くの神道関係者から評価を受けています。
地図にも載っていないほど小さな敷地。
しかし墓地を囲む玉垣には、蒼々たる文字が並んでいます。
正面左右の「神社本庁」「大阪府神社庁」をはじめ全国各県の神社庁や、
太宰府天満宮、多賀大社、伏見稲荷大社、住吉大社、諏訪大社、熊野那智大社、
北海道神宮、春日大社、石清水八幡宮、近江神宮、平安神宮と書かれています。

その他、北は北海道から南は九州まで
全国各地の神社や宮司の名前が玉垣に刻まれています。
大神神社、伊勢の猿田彦神社、二見輿玉神社、東京大神宮などの名も見えます。
言うまでもなくここには、
それらの神社や宮司さんから守屋の功績を称えて寄進があったということ。
この場が、全国の神社と繋がっていると思えばすごいことですね。
この100mほど西には敵方・聖徳太子ゆかりの寺、
下ノ太子と呼ばれる大聖勝軍寺があります。
ちなみに上ノ太子は聖徳太子墓がある叡福寺、中ノ太子は野中寺(やちゅうじ)です。
交通量が多く、道幅の狭い国道沿い(渋滞が多い)にあるので
車での参拝はお勧めではありません。
近鉄又はJR八尾駅から藤井寺行きのバス、
又は藤井寺駅から近鉄八尾駅行きバス「太子堂」下車すぐ。 ■Google地図
全国各地の神社や宮司の名前が玉垣に刻まれています。
大神神社、伊勢の猿田彦神社、二見輿玉神社、東京大神宮などの名も見えます。
言うまでもなくここには、
それらの神社や宮司さんから守屋の功績を称えて寄進があったということ。
この場が、全国の神社と繋がっていると思えばすごいことですね。
この100mほど西には敵方・聖徳太子ゆかりの寺、
下ノ太子と呼ばれる大聖勝軍寺があります。
ちなみに上ノ太子は聖徳太子墓がある叡福寺、中ノ太子は野中寺(やちゅうじ)です。
交通量が多く、道幅の狭い国道沿い(渋滞が多い)にあるので
車での参拝はお勧めではありません。
近鉄又はJR八尾駅から藤井寺行きのバス、
又は藤井寺駅から近鉄八尾駅行きバス「太子堂」下車すぐ。 ■Google地図


この記事へのコメント
ゆりあ
信州にも不思議に足跡のある人で不思議なんですよね。
守屋神社、諏訪の神長官は守矢家、神体山といわれるモリヤ山
おまけに善光寺縁起にもその名前。。。
よくわからないんだけど臭うのよね。
龍水
すごくニオイますね。
本当は生き延びていて諏訪に逃げていたとか…。
そうだとしたら、諏訪の御祭神の神話ともかぶりますね。